流星  2023.2.23

  本辑关于流浪。
  编排中,我不免惊异于四十年间,歌词意象之交织不绝。
  中岛美雪用了一生的时间,来书写一段四十年的寓言。
  此之谓以人生为艺术,以艺术为人生。

  请参照歌词,按顺序播放。


在线播放:QQmusic (需会员)


流浪の詩(1974)

辞·曲:中島みゆき
编曲: エジソン 


さあママ 町を出ようよ
激しい雨の夜だけど
仕度は 何もないから
裸足でドアをあけるだけ
形見になるようなものを
拾うのは およし
次の町では そんなものは
ただ 邪魔になるだけ

いつもこうなることぐらい
わかりきってるものだから
必ず 町で一番
暗い酒場で ママは待つ
こんどは西へ 行こうか
それとも南
愚痴は あとから聞いてあげるから
今は 泣かないで


東の風が吹く頃
長距離バスがのせて来た
あの人の黄色いジャケツ
それから先に
おきまりどおりに家をとび出した
遠い遠い昔のこと


何度も 人違いをしたわ
あの人には めぐり逢えず
旅から旅を ゆく間に
顔も忘れて しまってた
それども 旅を忘れて
悲しみを捨てて
ひとつ 静かに暮らしてみるには
わるくないすぎた

いつか東風の夜は
私の歌を聴くだろう
死んでも 旅をつづける
女の歌を聴くだろう
片手にママと名付けた
黒猫を抱いて
暗い夜道で風を呼んでいる
声を聴くだろう

東の風は いつでも
長距離バスが乗せて来た
あの人の黄色いジャケツ
それから先は
おきまりどおりに家をとびてした
遠い遠い昔のこと

**
##
風は東風 心のままに
いつか
飛んで飛ばされて
砕け散るまで だから

風は東風 心のままに
いつか
飛んで飛ばされて
砕け散るまで

流浪之诗(1974)

译文:武睿
初译:2021.8


走吧 MAMA 离开这个小镇吧
虽说今夜大雨滂沱
准备嘛 是不需要的
光着脚打开大门就出发啦
那些勾起回忆的东西啊
带走吗? 免了吧
到了下一个小镇呀 那些玩意儿啊
全都只是累赘罢了

事情每次都会变成这样
懂我的它 自然早有准备
在城里最昏暗的酒馆里
MAMA 一定在等着我来
这次我们是往西去呢
还是往南走
抱怨的话 我一会儿再慢慢听
总之 先别哭啦


那年东风吹起时
长途客车带来了
那个身穿黄色夹克的人
于是接下来呢
按照惯例我飞奔出家门
那都是久远久远的往事了


不知多少回  我认错了人
那个人却再也没有被我遇见
一段又一段的旅程之间
连他的脸我都忘记了
要不然 忘记流浪吧
抛却悲伤吧
哪怕一天 试试平静的生活吧
但我已无法安分了呀

某一天东风再度吹起的夜里
我的歌声你会听到吧
那个至死不渝的流浪女人
她的歌声你会听到吧
一只手抱着那只
名叫 MAMA 的黑猫
在幽暗的路上呼唤着夜风
那歌声你会听到吧

东风啊 一刻未停
长途客车带来了
那个人身穿的黄色夹克
于是接下来
按照惯例我会飞奔出家门
那是久远久远的往事了

**
##
东风再起 我心澎湃
不管是
乘风而行还是随风飘零
直到粉身碎骨 所以啦

东风再起 我心澎湃
不管是
乘风而行还是随风飘零
直到粉身碎骨

  当年轻的心第一次与广阔的世界相遇,注定要不顾一切地奔出家门,用生命去拥抱世界(流浪)。正如「時代」所唱:“哪怕今天就要倒下,哪怕冷雨不停,我也要出发”。东风中徐徐展开的广阔天地与青年对生命的热忱构成了超越时代的浪漫。青春易逝,浪漫无法追回,比爱情更珍贵。
  1974 年中岛美雪 22 岁,尚未出道,正是流浪的年纪。她以恰到好处的热情将浪漫定格,造就了她对流浪这一主题的巅峰呈现 [1]。年少时的浪漫憧憬赋予人生以底色,四十一年后,她的「もういちど雨が (再一次的雨)」(組曲,2015) 恰似流浪之诗的回响:“我一生流浪,想找一个理由回家”。
[1] 流浪之诗创作于 1974 年 6 月。

トラックに乗せて(1975)

辞·曲:中島みゆき
编曲: エジソン  

おじさん トラックに乗せて
おじさん トラックに乗せて
次の町まで いやでなければ
乗せて行ってよ 今夜は雨だよ

おじさん 邪魔になるようなら
おじさん 野良猫のように
ドアにすり寄って 眠っているから
乗せて行ってよ 今夜は雨だよ

どこか 曲がる所を探して
はやく 角を曲がってしまおうよ
だって バックミラーがちらちら揺れて
街の灯りが ついて来るのよ だから

おじさん トラックに乗せて
おじさん トラックに乗せて
次の町まで いやでなければ
乗せて行ってよ 今夜は雨だよ

おじさん 口笛を吹いて
おじさん 懐かしのメロデイ
歌に合わせりゃ 言わずにすむわ
締めてきた あの人の名前

どこか 曲がる所を探して
はやく 角を曲がってしまおうよ
だって バックミラーがちらちら揺れて
街の灯りが ついて来るのよ だから

おじさん トラックはいつから
おじさん トラックはいいね
揺れて揺られて 眠ったふりすりゃ
涙こぼれる時に気づかない

どこか 曲がる所を探して
はやく 角を曲がってしまおうよ
だって バックミラーがちらちら揺れて
街の灯りが ついて来るのよ だから

おじさん トラックに乗せて
おじさん トラックに乗せて
次の町まで いやでなければ
乗せて行ってよ 今夜は雨だよ

おじさん トラックに乗せて
おじさん トラックに乗せて。。。

卡车载我一程吧(1975)

译文:武睿
初译:2022.4

叔叔 用卡车载我一程吧
叔叔 用卡车载我一程吧
到下一个小镇 要是不麻烦的话
就载我一程吧 今晚可下雨了呢

叔叔 放心吧我不会捣乱
叔叔 我呀就像小猫
往门边儿一靠 就乖乖睡觉
就载我一程吧 今晚可下雨了呢

到哪儿了 帮我看看在哪拐弯
赶快呀 赶紧就在这里转
哎呀 后视镜啊它摇摇晃晃
街灯啊 好像都追上来了呢 所以啦

叔叔 用卡车载我一程吧
叔叔 用卡车载我一程吧
到下一个小镇 要是不麻烦的话
就载我一程吧 今晚可下雨了呢

叔叔 来吹个口哨吧
叔叔 旋律真怀旧呀
跟着唱起的话 就不用再说
让我死心的 那人的名字啦

到哪儿了 帮我看看在哪拐弯
赶快呀 赶紧就在这里转
哎呀 后视镜啊它摇摇晃晃
街灯啊 好像都追上来了呢 所以啦

叔叔 卡车开了多久啦
叔叔 卡车真带劲儿呀
左摇右晃的 假装睡着了
流眼泪的时候 就不会发现了

到哪儿了 帮我看看在哪拐弯
赶快呀 赶紧就在这里转
哎呀 后视镜啊它摇摇晃晃
街灯啊 好像都追上来了呢 所以啦

叔叔 用卡车载我一程吧
叔叔 用卡车载我一程吧
到下一个小镇 要是不麻烦的话
就载我一程吧 今晚可下雨了呢

叔叔 用卡车载我一程吧
叔叔 用卡车载我一程吧…

夜を往け(1990)

辞·曲:中島みゆき
编曲: 瀬尾一三  

追いつけないスピードで走り出るワゴンの窓に
憧れもチャンスも載っていたような気がした
あれ以来眠れない 何かに急かされて
走らずにいられない 行方も知れず
夜を往け 夜を往け 夜を往け 夜を往け

砂の風吹きすさぶ乾いた道端にたたずんで
親指を立てながら待ちわびるだけだった昨日
憐れみのドアが開く車を見送って
ナイトニュースを聴くだけの昨日捨てて
夜を往け 夜を往け 夜を往け 夜を往け

遠ざかる街の灯はまるであの日の夢のようだ
恋人よ あの愛と比べるものがあり得たのか
蒼ざめた微笑みが瞼をよぎる
出まかせのなぐさめが心をなぶる
夜を往け 夜を往け 夜を往け 夜を往け

なにも見えない夜の彼方からむせび泣く口笛が聴こえないか
忘れられない夢のカケラが数えきれない星くずを鏤める
夜を往け 夜を往け 夜を往け 夜を往け
夜を往け 夜を往け 夜を往け 夜を往け

穿越夜色(1990)

译文:武睿
初译:2021.9

无从追赶的卡车 疾驰而过 一闪即逝的窗口里
承载的憧憬 承载的诱惑 都令我心有所觉
从此我夜不能寐 怎奈这莫名悸动
奔跑的脚步 不由自主 不问前路
穿越夜色 穿越夜色 穿越夜色 穿越夜色

沙尘卷起 狂风呼啸 我伫立于荒芜的道路旁
徒然竖起拇指的我 一如昨日的苦苦等待
因怜悯而打开的车门 我只想看它远去
一味地听着深夜新闻的往昔 我已将它弃绝
穿越夜色 穿越夜色 穿越夜色 穿越夜色

远去的街道上 渐渐逝去的灯火 就像遥远的昨日的梦
恋人们啊 能与那场爱情 相提并论的事物还会发生吗
即使闭上眼 那苍白的笑容 依然映入眼帘
信口开河的安抚 言不由衷的劝慰 刺痛着我的心
穿越夜色 穿越夜色 穿越夜色 穿越夜色

不见一物的 夜的彼方 那呼号如泣的口哨已不再可闻
不能忘记的梦 破碎的残片 化作无数 离乱的星尘
穿越夜色 穿越夜色 穿越夜色 穿越夜色
穿越夜色 穿越夜色 穿越夜色 穿越夜色

  自传性的「穿越夜色」可视为「湾岸24時」的续篇。歌词从第一段奋不顾身的浪漫漂泊的少年时代(呼应「流浪の詩」「トラックに乗せて(卡车载我一程吧)」, 1974),到第二段狂风呼啸中忧郁挣扎的青年时代(「熱病  1985」),再到第三、四段破灭的爱情与理想:夜的彼方已无人召唤,此去不问前路亦无归途(梦想破灭,何处是归途 –––「成人世代  1981」「ROLLING  1988」)。昔日的爱情、理想与梦幻都在远去,她带着寂寞的心向夜色启程。
  对于此时 38 岁的中岛美雪而言,或许 40 岁之后的人生正如夜色。夜色是无从穿越的,因为它没有尽头。但正因它没有尽头,才向夜色启程。
  这种孤身面对世界的决绝的力量源自本专辑的最后一首「with」。在飞逝的韶光中她窥见了永恒。

——————关于译文——————
  译文力求复现日语原词中理性与克制的气氛。
  「夜を往け」一句,Orika(织歌虫)译为“奔进黑夜”,竑广译为“穿越夜色”。前者接近日文字面的本意,但缺少原文「往け」命令式的决然的动感。竑广译文中的动词“穿越”更符合原作的色彩,且暗和了原文的谐音:よけ(走开!)。此处取竑广的译法“穿越夜色”。

流星(1994)

辞·曲:中島みゆき
编曲: 瀬尾一三  

バスがとまった気配に気づき そっとまぶたをあけてみると
ここは山頂のサービスエリア 次の町まであと何百キロ
埃まみれの長距離トラックが鼻先ならべる闇の中
自販機のコーヒーは甘ったるいけど 温まるならそれでいい
どこまで行くの 何しているの
歌を歌っているんです
そうかい、おいらは歌は知らねえな 演歌じゃねえんだろ、そのなりじゃあな
香川 新潟 大阪 宮城 姫路 山口 袖ヶ浦
流れる星よ いつか最後にどこへたどりつこうというのだろうか

おいらはこれから北の国まで となりはこれから南まで
便りのないのが良い便り どこかで会うかもしれねえな
身体こわさず がんばってみなよ
たまには親にも t e l してやんな
吹く口笛はスプリングステイーン あれは演歌だと おっちゃんは信じてる
香川 新潟 大阪 宮城 姫路 山口 袖ヶ浦
流れる星よ いつか最後にどこへたどりつこうというのだろうか

地平のはしから地平のはしまで
皆、流星のひと走り
ほら 流星がまたひとつ 君は願いを言えたかい
香川 新潟 大阪 宮城 姫路 山口 袖ヶ浦
流れる星よ いつか最後にどこへたどりつこうというのだろうか
流れる星よ いつか最後にどこへたどりつこうというのだろうか

流星(1994)

译文:武睿
初译:2021.10

客车好像停下了 我隐约感觉到 微微抬起眼 向外面看去
这儿是山顶的 汽车休息区 下个城镇还远在百里外
覆满尘土的 长途卡车 头朝外并排隐谧在黑暗里
贩卖机的咖啡啊 虽然有点太甜 能用来暖暖身子 倒也不错呢
你去哪儿啊 你在干嘛呢
唱歌啊 一直在唱歌呢
这样啊,唱歌什么的咱是不太懂 但好像不是演歌吧,我说的没错吧
香川 新潟 大阪 宮城 姫路 山口 袖浦
飞逝的流星啊 你旅程的终点 将会去往何方 你来说说看

咱现在要出发去北边了 旁边那个要去南边了
没有消息 就是好消息 以后又在哪儿碰到 也说不定呢
身体别搞坏了啊 大家加油干哦
偶尔也给家里爸妈 挂个电话哈
刚才我吹的口哨是 Springsteen 我说那是演歌 哥们儿真的信了哦
香川 新潟 大阪 宮城 姫路 山口 袖浦
飞逝的流星啊 你旅程的终点 将会去往何方 你来说说看

从地平线的一头 到地平线另一头
咱们,像流星 也跑这么一趟
快看 流星啊 又过去一颗 你许愿了吗刚才
香川 新潟 大阪 宮城 姫路 山口 袖浦
飞逝的流星啊 你旅程的终点 将会去往何方 你来说说看
飞逝的流星啊 你旅程的终点 将会去往何方 你来说说看

  「流星」令人想起 1974 年的「トラックに乗せて(卡车载我一程吧)」(みんな出ってしまた,1976)。二十年前,22 岁的中岛美雪哀求着卡车司机,幻想能坐上卡车去流浪,去抓住心底的悸动,追逐远方遥远的浪漫。其实少年时以流浪为人生的憧憬,谁都可以如愿以偿,因为人生本就是一场流浪,再也回不到故乡(这也是中岛美雪一直歌唱着的一个主题,直到二十年后的 2015 年(「组曲」),她还在追问着,“我一生流浪,想找一个理由回家” —「もういちど雨が」)。意识到这一点时,便从以流浪为人生的浪漫少年变成了以人生为流浪的旅人,中岛美雪也因此走进了曾经神秘而遥不可及的卡车司机之间。她看见划过地平线的流星,流星啊请你告诉我,哪里才是故乡?
  以人生为流浪的浪漫的达观,使这首歌具有了沉静的精神力量。

————————关于译文————————
  每段末句也是全歌最关键的一句,开头「流れる星」直译为“流过的星”,Orika 和竑广均译为名词“流星”。动词在诗辞中至关重要,原文「流れる」赋予全句一种奇特的动感,译文中不应省略。此处译作「飞逝的流星」”,动词“飞逝”统领全句。本句之后的部分:「いつか最後に(直译:当到了最后的时候)何処え辿り着こう(会抵达何处)というのだろうか(解释一下如何)」,此处译作「你旅程的终点 将会去往何方 你来说说看」,以保留原文的节奏和乐感。
  5-7 句为对话,说出第 6 句「歌を歌っているんです」的应该是开头乘客车的主人公。本句直译为“一直在唱歌”,也有人将其译作“我是个歌手”,但歌手与第二段“口哨”稍显矛盾,所以此处采取较直接的译法:「唱歌啊 一直在唱歌呢」。
  第 7 句常被错译,「演歌じゃねえんだろ」=演歌じゃないだろ,直译为:“不是演歌吧”。

もういちど雨が(2015)

辞·曲:中島みゆき
编曲: 瀬尾一三 

もういちど雨が降りだしたみたいだね
遠ざかる車たちの足音が濡れている
この街の雨は ひそやかな音で降るね
今もまだ馴染めなくて 聞き逃しそうになる
 偶然は一生に一度しかないのかな
 もういちど始まりの偶然はないのかな
 愛はどこだ 指の隙間から
 こぼれ落ちた日々を探している
 愛はどこだ あの日々は
もういちど雨が降りだしたみたいだね
もういちど素直になれば やり直せるだろうか

遠い日に旅に出て 今もまだ旅に居て
帰るのに足りるだけの理由を探している
この街の外で もういちど出会えたなら
寂しさに騙されずに 求め合えるだろうか
 過ぎてゆく時間より他にもうないのかな
 悲しみを拭い出る奇跡はないのかな
 愛はどこだ まるで水のように
 こぼれ落ちた夢を探している
 愛はどこだ はじめから
おういちど雨が降りだしたみたいだね
もうないと思っていた空が まだあるらしい

再一次的雨(2015)

译文:武睿
初译:2022.7

再一次的雨 好像又下起来了
远去的汽车 纷纷踏着潮湿的足音
这座城市的雨啊 总是悄无声息地降临
如今仍无法习以为常的我 每每令它从耳边溜走
 偶然的巧合啊 一生只能有一次吧
 再一次从头开始 就不再是偶然了吧
 爱 去了哪里 从手指的缝隙间
 滑落而去的岁月 我正把它找寻
 爱 去了哪里 那些岁月啊
再一次的雨 好像又下起来了
再一次坦率起来的话 就能重头再来吗

久远的那天 我踏上旅程 如今仍在路上
一个足以归去的理由 令我找寻至今
若能在这座城外 再一次相见的话
是否就能不被寂寞哄骗 让你我形影相随
 世上未曾有 能如时光般飞逝的事物吧
 世上未曾有 能抹去悲伤的奇迹吧
 爱 去了哪里 如同覆水一般
 洒落而去的梦啊 我正把它找寻
 爱 去了哪里 一如初见
再一次的雨 好像又下起来了
早以为失去的天空 依然还在那里吧

  「再一次的雨」如一封跨越四十年的情书,在叹息与不舍中,致予逝去的爱和岁月、生命与轮回。能否让一切如雨般再一次降下?奇迹能否重现?人生可否再如初见?
  答案在最后一句:那片天空,依然还在那里。
  爱、梦想与奇迹,依然值得等待。

  或许是作为出道四十周年的纪念,中岛美雪在「再一次的雨」中埋下了与 1976 年最初两张专辑(「私の声が聞こえますが」、「みんな出ってしまった」)的诸多关联。例如,在整首歌各处,不论是题目、雨声的幻梦还是失去的天空,都令人想到「雨离弃天空的那天」。首段副歌 3、4 句「指の隙間から  こぼれ落ちた  日々を探している」酷似「自海滨的来信」的歌词「…あなたの指から  こぼれ落ちた  波のしずく(我的心 从你的指尖洒落 溅起浪花)」。第二段,在久远的那天踏上的旅程,又不免使人想起「假如可以忘记的话」、「時代」和「流浪の詩」。此外,末句又与 1979 年的「像一颗小石」遥相辉映。如此深挚的追思与对过去作品的追记,自从 1990 年,年近四十之际的「夜を往け」之后,似乎还未有过。

小石のように(1979)

辞·曲:中島みゆき
编曲: 石川鷹彦 

山をくだる流れにのせて
まだ見ぬ景色あこがれ焦がれ
転がりだす石は16才
流れはおもい次第

旅をとめる親鳥たちは
かばおうとするその羽根がとうに
ひな鳥には小さすぎると
いつになっても知らない

おまえ おまえ 耳をふさいで
さよならを聞いたもくれない
とめどもなく転がりだして
石ははじめて ふりむく

川はいつか幅も広がり
暗く深く小石をけずる
石は砂に砂はよどみに
いまやだれにも見えない

おまえ おまえ 海もで百里
座り込むにはまだ早い
石は砂に砂はよどみに
いつか青い海原に

おまえ おまえ 海まで百里
座りこむには まだ早い
砂は海に海は大空に
そしていつかあの山へ
砂は海に海は大空に
そしていつかあの山へ

像一颗小石(1979)

译文:武睿
初译:2021.9

出发了下山了 乘上山涧就启程
从未见过的景色啊 它心中憧憬又急切
滚下山来的小石头 今年十六岁
说到流浪 它奋不顾身

停下旅程来 成了父母的鸟儿们
全都拥有了 可堪庇护的羽翼
可是雏鸟的翅膀还太小
何时长成 还遥遥无期呢

叫你呢 叫你呢 不要充耳不闻啦
连句再见 都不理不睬
头也不回 就滚下山去了
小石它这才想起 扭头回望

河水啊不知不觉 变得宽广了
光暗了 水深了 小石被磨去一层层
小石成了砂 砂砾又成泥
现在终于谁也找不到它了

叫你呢 叫你呢 离海还有百里呢
想在这里停下来 现在还早呢
小石成了砂 砂砾又成泥
何时流进蓝色的大洋里

叫你呢 叫你呢 离海还有百里呢
想在这里停下来 现在还早呢
砂砾归于海 大海归长空
终有一天会向那山归去
砂砾归于海 大海归长空
终有一天会向那山归去

Leave a comment