予感 1983.3

この世に二人だけ

辞·曲:中島みゆき
编曲: 中島みゆき  

あなたの彼女が描いた絵の
載った本をみつけた
やわらかなパステルの色は
そのままにあなたの好みの色

あなたは教えてくれない
私もたずねたくはない
夕暮れの本屋は風まかせ
つらい名前のページをめくる

二人だけ この世に残し
死に絶えてしまえばいいと
心ならずも願ってしまうけど
それでもあなたは 私を選ばない

クラクションが怒鳴ってゆく
つまずいて私はころぶ
放り出された本を拾いよせ
私はひとり ひざをはらう

嫌いになどなれるはずない
あなたの愛した女だもの
夕暮れの凩にあおられて
あなたと同じ苗字が 滲む

二人だけ この世に残し
死に絶えてしまえばいいと
心ならずも願ってしまうけど
それでもあなたは 私を選ばない

二人だけ この世に残し
死に絶えてしまえばいいと
心ならずも願ってしまうけど
それでもあなたは 私を選ばない

若世上只有你我

译文:武睿
初译:2021.11

有你女朋友画的画呢
那本书我找到了
粉彩那柔和的色调啊
依然是你最钟爱的颜色

你从来没有告诉过我
我也从来没有向你问过
日暮时分书店里晚风乱吹
刚好把那伤人的名字翻出来

只有你我 在这世上留存
全都死掉吧就好了
许下了昧着良心的愿望 然而
即便如此你也还是 不会选择我

警笛声呼啸而去
我绊了一跤扑倒在地
把抛了一地的书捡起来归拢好
我独自一人 把膝盖拍了拍

要憎恨她吧 我做不到
她是你爱的人啊 毕竟
日暮时分蹒跚在寒风里
和你一模一样的姓氏 模糊了

只有你我 在这世上留存
全都死掉吧就好了
许下了昧着良心的愿望 然而
即便如此你也还是 不会选择我

只有你我 在这世上留存
全都死掉吧就好了
许下了昧着良心的愿望 然而
即便如此你也还是 不会选择我

  如上张专辑的第一首「悪女」,「若世上只有你我」作为本专辑的第一首歌,也出现了中岛美雪式的微妙的心理刻画,但容易因翻译不当而被忽视。详见下文。

——————关于译文——————
  第四段中「クラクション」有警笛或汽车喇叭的含义,此处译做“警笛”,从而与上段“昧着良心”的许愿以及后文的跌倒形成潜在联系:绝望中许下毒愿,却又立即受到良心的谴责,如此连过错都犯不来、最终只能在寒风中独自垂泪(第五段)的凄惨,与「恶女」如出一辙。以下同理:
  第三段中「心ならず」直译为“迫不得已”,此处译做“昧着良心”。
  副歌第二句「死に絶えてしまえばいいと」没有主语,即没有言明要死绝的是什么人,此处直接译做「全都死掉吧就好了」。原文之所以这样安排,是由于副歌前两句类似于无意中许下毒愿时小声嘀咕的自言自语(后两句是发觉自己许了毒愿之后的心理活动),因此没有把话说全。
  经上述理解,歌词每一段得以衔接,成为一个有完整时间线索的故事,并呈现出了类似于「恶女」的精妙感。

誰のせいでもない雨が

辞·曲:中島みゆき
编曲: 井上堯之  

誰のせいでもない雨が降っている
しかたのない雨が降っている
黒い枝の先 ぽつりぽつり血のように
りんごが自分の重さで落ちてゆく
誰のせいでもない夜が濡れている
眠らぬ子供が 責められる
そっと通る黒い飛行機があることも
すでに赤子が馴れている
もう誰一人気にしてないよね
早く 月日すべての悲しみを癒せ
月日すべての悲しみを癒せ

怒りもて石を握った指先は
眠れる赤子をあやし抱き
怒りもて罪を穿った唇は
時の褥に愛を呼ぶ
されど 寒さに痛み呼ぶ片耳は
されど 私の裏切りは
誰のせいでもない雨が降っている
日々の暮らしが降っている
もう誰一人気にしてないよね
早く 月日すべての悲しみを癒せ
月日すべての悲しみを癒せ

船は港を出る前に沈んだと
早すぎる伝令が火を止めにくる
私たちの船は 永く火の海を
沈みきれずに燃えている
きのう滝川と後藤が帰らなかったってね
今ごろ遠かろうね寒かろうね
誰かあたしのあの人を救けてよと
跣の女が雨に泣く
もう誰一人気にしてないよね
早く 月日すべての悲しみを癒せ
月日すべての悲しみを癒せ
早く 月日すべての悲しみを癒せ
月日すべての悲しみを癒せ

雨不是谁的错

译文:武睿
初译:2022.7

此刻降下的雨 不是谁的错
此刻降下的雨 只有无可奈何
漆黑的枝头 一滴一滴如血似的
苹果因自己的重量 纷纷掉落
雨打湿了夜 不是谁的错
睡不着的孩子 正被斥责
确有漆黑的飞机 从这里悄然飞过
婴儿却早已 习以为常
如今 已没有谁会在意了吧
快一点 岁月啊 带走全部的悲伤吧
岁月啊 带走全部的悲伤吧

把满腔怒火握进石块的指尖
小心地抱起熟睡的婴儿
用满腔怒火洞悉罪恶的双唇
在时光的软床上把爱呼唤
然而 还剩一只在寒冷中 阵痛的耳
然而 我的背叛啊
此刻降下的雨 不是谁的错
此时降临的 日月蹉跎
如今 已没有谁会在意了吧
快一点 岁月啊 带走全部的悲伤吧
岁月啊 带走全部的悲伤吧

人说船在离港前就已注定沉没
要下救火的命令 现在还太早
我们的船正在 永劫的火海里
沉也沉不了 熊熊地燃烧
昨天泷川和后藤他们 再也没有回来吧
如今已远在天边了吧 那里很冷吧
我的爱人啊 谁来救救他
赤足的女人在雨中哭喊
如今 已没有谁会在意了吧
快一点 岁月啊 带走全部的悲伤吧
岁月啊 带走全部的悲伤吧
快一点 岁月啊 带走全部的悲伤吧
岁月啊 带走全部的悲伤吧

  歌词中的诸多意向,如夜里悄然飞过的飞机,紧握石块的手,洞悉谎言的唇,都令我想到 50-70 年代的安保斗争。这场运动的最终失败令“安保世代”的幻想破灭、左翼走向分裂。无从实现的梦如注定沉没却无法沉没的船,在永劫的火海里熊熊燃烧。
  幻灭时代的关怀,与「成人世代」「ROLLING」「红灯之海」「此刻是月夜」一脉相承。
  此外,首段第 3、4 句致敬 Bob Dylan 1963 年以古巴导弹危机为背景的「A Hard Rain’s a-Gonna Fall」,其中一句是:I saw a black branch with blood that kept drippin’(我看见黑色的树枝正不断滴血)。

Leave a comment